2011年02月18日

よくある話

去年3月の私の結婚式を待って
父は40年間くらい勤めていた職場を早期退職した。

職場の経営方針の改革か
派閥争いに負けちゃったのか
あんまり詳しい事は知らないけれど
「健康管理課」的な窓際部署に異動になった。
新しい業務はきっと退屈で単純なこと。
それでも60歳には気持ちの切り替えも順応できず
イジワルな圧力もあったのかどうか
私と同じ世代くらいの事務員にもイビられ
団塊の世代で家庭を顧みず働くことが美徳、
趣味は仕事だった父は
ウツになってしまった。

第一線で働いている時から危惧はしてたが
父は家に帰れば寝っころがってテレビをみるだけ。
退職後の趣味や生きがいを見つけなければ
すぐボケてしまう。
母と話してきたことだったが
見つけられないまま退職となってしまった。

私が以前勤めていた会社や業界でも
統廃合が激しく
早期退職はもちろん
管理職からの降格や
総合職から一般職への業種変更
理不尽な単身赴任もあったり
THE・現代ともいうべきような
サラリーマンに厳しい状況を目の当たりにしてきた。
だから父の事に関しても
さほど特別という気はしなかった。
むしろ
61歳まで働けたこと、
お給料や退職金にどのくらい影響があったかはわからないけれど
家を建て替え出来るくらいには享受したこと等考えると
恵まれたほうかとも思っている。

父が退職してからもうすぐ1年
私はもう5年以上実家で暮らしていないので
ウツになっての浮き沈みや変化も
母からの話だけ。
たまに会う父はソウの状態だったのか、
私が鈍感すぎるのか
酷く落ち込んでいる様子もないので
あまり深刻に考えた事もなかった。
今は胃痛もないようだし
ウツの薬も飲んでいないようで
ずいぶんよくなったとのこと。
それでもたまに母が
「お父さん、今日は落ち込んじゃって・・・」
と話す。

一緒に暮らしはじめてからも
母もいつもと同じような
毒、且つ癇癪を躊躇しない対応なので
私もあまり気を遣わなかった。
福岡から実家暮らしの変化、
妊婦ホルモンの働き等によりストレスもあった。
私のストレスがピークの実家暮らし1週間目、
兄一家が遊びに来て
私の父に対する言葉の棘を注意された。
兄は父と同じ職種で私より経緯に詳しい分、
一緒に暮らしてない分、
父に対して同情的だった。

父に起こった出来事はよくある話で
でも、
父も母も辛かった時期があったんだと思う。
私の耳にあまり入ってこなかったのは
母の性分だろうか。
どんなことでも
人を滅入らせるような愚痴はあまり言わない。

私は普通に大学に行って、一人暮らしもさせてもらった。
なんとか通える距離だったけれど。
兄も弟も進学してる。
特別な話ではないけど
私にはそんなお金を捻出できる能力はない。
それだけでももう、本当はありがたいこと。

父も母も私も
お互いのことを心配して文句を言ったりもするけど
大概は虫の居所が悪くて喧嘩が始まる。
父は甘えすぎる。母は言い過ぎる。私は両方だ。
それでも誰かしらがフォローにまわったり
ごはんをむしゃむしゃ食べながら言い合ったり
しっかり食べ終わって捨て台詞を吐いて2階に上がったり
なんだか平和でもある。

子供が出てきたら
もっといろんな事に過敏になって
想い遣る余裕がなくなってしまうかもしれないけど
時々は思い出さなくては、思う。
よくあることが、普通のことが、大変だということ。
私は親孝行をしに来たんだ。
それでもやっぱり
お世話になってるのはいつも私のほうで
多少の孝行じゃ追いつきやしない。

実家暮らしも、もうすぐ1ヶ月になる。
エアコンをつけているのに扉を開け放すのも
そのわりに23時以降の深夜電力料金にこだわるのも
建て替えて2ヶ月以上経っても片付かないお部屋も
ストレスに感じなくなってきた。

洗濯物のしまい方を見て母がついに
「神経質ねぇ」とつぶやいた。
この私が!神経質と言われるなんて!
驚いている私を見てニヤニヤしながら
「あら、勘に障ったかしら」
勘に障る?
神経質ということが、
悪めのカテゴリーに入っているようだ。
「いや、ダンナさんの教育がいいんだろうと思ったの」

ある日の早朝
隣の寝室から勢い良くカーテンを開ける音が聞こえてきた。
その後、拍手が二回。
かしわで?かな。
なぜか神式。
きっと思わず手を打ちたくなるような
よいお天気なんだろう。
ここ数日続いている
典型的な関東の冬の
乾燥してすっきりとした晴天だろう。

父はきっと
私の安産をお願いしたんだと思う。




Posted by シズカ at 19:16│Comments(6)
この記事へのコメント
なんかジーンときました。
うるっと涙が出ました。
私も娘がいて性格や考え方の違いでケンカしたりします。

わかってもらいたいのに上手くいきません(涙)
親はなかなか大変なんです。
お父さんウツになるまで良く我慢しましたね。ご苦労様でした。

私もウツ病なのでわかります!素晴らしいご両親を大切にして下さいね。
Posted by ひろ at 2011年02月18日 19:38
心に沁みるお話、私もジ-ンときてしまいました。

文章で表現するのって難しいと思うけど、
静ちゃん、とっても上手だよね。

さすがだわ。
Posted by マリ先輩 at 2011年02月18日 21:24
なんていい記事!

>しっかり食べ終わって捨て台詞を吐いて2階に上がったり
これ私もよくやった(笑)。よく考えたら家族だからできる事なんだね。
意地張って食べなかった時は、後でオカンがおにぎり持ってきたり。

あと約一ヶ月、新しい家族の一員としっかりみっちり親孝行して下さい。
Posted by まみこ at 2011年02月18日 22:19
本当に優しそうな静パパ、早くよくなるといいね。

うちの母も、父が他界してから最近までウツ気味だったみたいだよ。
一緒に住んでいた時代は全く気づいてあげることも出来ず、
本当に悔いが残るよ。

「孝行できるうちにしとけ」とか何とか言うけど何をしたら孝行なのかイマイチわからないよ。

でも、静が今やってるみたいに大きなお腹で幸せそうにしてるだけで親の励みになっているんだろうね~

とにかく、静自身の体も大切にね!あともう少しだ!!
Posted by るみこ at 2011年02月19日 07:31
♪聞き分けのない女の頬を♪・・・


♪一つ二つ張り倒したら訴えられた・・・♪


すいません取り乱しました。



巡り巡ってこのブログにたどり着き・・


拝見させていただきました。


父親ってなんだか切ないですよね。


高度経済成長とともに企業戦士に洗脳されて・・・


時代が変わればお払い箱・・・


限られたコミュニティの中で存在価値をみつけ


生き抜いてきた・・・


お父様のような企業戦士がいたからこそ


今日の物質的に豊かな日本があると思います・・



最後に子を持つ親として・・



一番の親孝行は・・・




一日でも長く親より生きること・・・




そのことにつきます。



子育ては自分育てとも言います・・・




共に成長を楽しんでくださいね。
Posted by カサブランカ・ダンディー at 2011年02月19日 09:20
ひろさん
うつ病って
日本人の○人に一人
潜在的にはさらに○人に一人
ザラにいるような雰囲気でよく聞きますが
実際、大変なことなんでしょうね。
ゆっくりと付き合っていって下さいね。

自分の気質を遺伝する事を思えば、
娘とは30年後くらいに分かり合うことになるのかしら(汗
とてもそんな気長ではいられません~!!
ダンナさんに似ますように・・・

マリ先輩
同じ日本文学科卒じゃない~!
お金には結びつかない学科だわね。
こうやって暇つぶしするにはよかったケド。

毎日化粧水パックしてるよ!
調子いいみたい☆

まみこ
本当はねぇ
取手と柏くらい近くにいて
些細なことも頻繁に聞いているのが一番だと思うけど
おうち建てるのも
もっと相談に乗れればよかったかなと。
ま、気持ち気持ち!
(結局自己満)

るみこ
先日はストック菓子あらし失礼しました~
実親と義親とのハザマで早速
揺れる想い体中感じていることでしょう。
あ、るみこ自身は揺れてないか。

孝行の鉄板っていうと、一緒に旅行かしら?
どっちの親とも
出来る範囲で大事にしていこうね
長いお付き合いですから!

カサブランカ・ダンディーさん
去り際こそ寂しいものでしたが
それでも父は
自分の仕事を天職と思って取り組んできたので
しあわせなほうだったとも思います。

子育てを通して
子供の成長はもちろん、
いろんな発見とか気持ちの変化があるんだろうと思うと
すご~く楽しみです☆
Posted by シズカシズカ at 2011年02月19日 16:06
 
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